嘘にはならなかった
ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
今日の福音(ヨハネ13.21-33,36-38)にはこのように書かれています。この直後、イエスは捕らえられ、イエスの言葉通り、ペトロは師を見捨てて逃げ出し、「あなたはあの男の弟子ではないのか」という問いに、三度「違う」と答えてしまいます。
ペトロは本当に「自分は師のためなら死ねる」と思っていたのでしょう。決してイエスの前でいい格好をしようとして「あなたのためなら命を捨てます」と言ったのではないのだと思います。しかし、「自分も捕らえられて殺されるかもしれない」という恐怖が、師への愛に勝ってしまったのです。
ペトロはイエスのことが大好きでした。ペトロに関して言えば、「イエスを愛している」というよりも「イエスが大好き」という言葉が合っているように思います。
イエスの死と復活は、死への恐怖で消えかかっていたその「大好き」の炎を再び燃え上がらせました。復活したイエスは、弟子たちの前に現れ、自分を見捨てたことをとがめることなく生前と同じように彼らに接します。自分を見捨て、三度も自分を「知らない」と言ったペトロにこの世の教会を託すことさえします。
最終的に、ペトロの言葉は嘘になりませんでした。地上の教会を託されたペトロは、使徒の頭として、生まれたばかりの教会を導き、やがて捕らえられ、十字架に逆さに架けられて殉教を遂げました。ペトロは、数十年越しで師への言葉を果たしたのです。
「大好き」は死に打ち勝ったのです。