私は願う

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    そのとき、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。

     今日の福音(マルコ1.40-45)にはこのように書かれています。この当時、重い皮膚病は、その人の罪の結果であると考えられていました。その病を患っている人は、保護や憐れみではなく、差別と蔑みの対象でした。彼らは共同体から排除されて生きることを強いられていました。そして、誰も、彼らの回復など願っていなかったのです。

     しかし、イエスはそんな人を深く憐れみ、その回復を願いました。「よろしい」という訳は、聖書の原語であるギリシア語では「私は思う」「私は願う」という意味の言葉で書かれています。

     この時代、重い皮膚病からの回復とは、肉体的な病からの回復であるだけでなく、共同体との交わりへの回復でもあります。イエスは社会から排除されている人を深く憐れみ、その人が人々の交わりの中に戻ることを心から望んだのです。それがイエスの「想い」だったのです。

     どんな時も、裁きや排除はイエスの御心に反します。心を重ねること、手を差し伸べること、そして、同じ人間同士として交わること。イエスはいつも、私たちにそんな愛を望んでいるのです。
    • 2020.01.16 Thursday
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    • by U.Z


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