赦し、信じ、委ねる方
『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。
今日は「聖パウロの回心」の記念日。第一朗読では、イエスの弟子を捕らえるために出かけているパウロの前に復活したイエスが現れる場面が読まれます(使徒言行録22.3-16)。
突然、強い光に照らされて倒れるパウロ。そんなパウロに「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と語りかけるイエス。
イエスはここで、パウロの罪をとがめたり、許しを請うことを求めたりはしません。パウロがこれから行うべきことを示すのです。
イエスが十二使徒の前に現れた時も同じでした。彼らが自分を裏切って逃げたことをとがめることなどなく、福音を述べ伝えることを命じました。
自分を裏切った弟子にも、自分の弟子を迫害し、死に追いやっているパウロにも、これまでの罪をとがめることなく、これからすべきことを委ねるイエス。イエスはどんな時も、裁きではなく赦しをもたらす方です。そして、人を信じ、委ねる方です。
そんなイエスの愛によって、使徒たちもパウロも生まれ変わりました。イエスの愛を述べ伝えるために、自分の命を投げ出せるほどに。
イエスは、今日、私たちにも語りかけています。「あなたに頼みたいことがある。俺の話を聴いてくれないか。
」と。