神のとりで

0
    神はわたしのとりで、わたしの岩、わたしの救い、身を避ける岩、私の神、わたしのたて、わたしのやぐら、救いの力。

     今日の詩編(詩編18.3,33+37)ではこのように歌われます。しかし、「神は自分を守ってなどくれない」と嘆く人は多いのではないでしょうか。

     「とりでがない」のと「とりでがあるのに入らない」のは全く違います。「神に守られていない」と感じる人は、神のとりで、神のたての中に入ることを、自ら拒んではいないでしょうか。

     自分というとりでに隠れたままで、神のとりでに守られることはできません。一度に二つの場所に隠れることはできないのです。「自分は強い」と信じ、自分で自分を守ろうとしているうちは、神のとりでに入ることはできません。

     自分の弱さ、自分というとりでのもろさを認め、そんな殻から出てくることができた時に、私たちは、自分の目の前には、神のとりでがあったことに、神はそこに私たちを受け入れようと、ずっと待っていてくださったことに気づけるのではないでしょうか。



    calendar

    S M T W T F S
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    282930    
    << June 2020 >>

    selected entries

    archives

    profile

    search this site.

           

    links

     

    人気ブログランキング

    にほんブログ村

     

    follow us in feedly

    お問い合わせは以下のアドレスまでお願いします(リンクではありません。お使いのメールソフトに画像のアドレスを打ち込んでください)。

    catmark.jpg

     

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM