「誰かを」ではなく「私を」
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
今日の福音(ルカ10.1-12)で、イエスは七十二人の弟子たちを派遣する時に、彼らにこのように言います。「収穫」とは神の愛、神の恵みのことでしょう。神の恵みは私たちに豊かに注がれているのに、その恵みに協力して働く人が少ないという意味の言葉だと思います。
「働き手を送ってくださるように」というと、自分以外の誰かを送ってくださいと祈ることを考えてしまいます。しかし、イエスがこの言葉を贈ったのはご自分の弟子たち、つまり「働き手」たちです。
「収穫のために働き手を送ってください」という祈りは、「この私をあなたの働き手としてください」という祈りであるべきなのではないでしょうか。イエスの弟子として、友としてこの世界に愛を伝える、愛を行うのは、自分以外の誰かではなくまさに自分なのだという誇りを、私たち一人一人が、喜びのうちに持つべきなのではないでしょうか。