赦しは易しいか、難しいか

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     今日の福音(マタイ9.1-8)では、イエスが中風の人を癒やす場面が描かれています。その際イエスは、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言います。これを聞いた律法学者は、この言葉が神を冒涜していると考えます。罪を赦す権利は神にしかない=この男は自分を神だと言っている、と考えたからです。
     その心を見抜いたイエスは「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」と問いかけます。しかし、この箇所には、この問いへの答えは書かれていないのです。では、今を生きる私たちにとってはどうでしょうか。

     「罪を赦す」という行為には、特別な能力や技能は必要ありません。しかし病人を「起きて歩ける」ようにするためには、医学の心得が必要です。そう考えると、後者の方がずっと難しいように思えます。
     しかし、こうも考えることができます。病気の治療は、純粋に技術的な問題ですが、罪の赦しは、心の問題です。どんなに優秀な頭脳を持っていても、高度な技術を身につけていても、相手に対する愛がなければ、決して人を赦すことはできません。場合によっては、これほど難しいことはないのかもしれません。

     この問いに答えを出すこと、それ自体が重要なのではないのかもしれません。この問いを思いながら、赦すこと、赦されることについて、自分なりに考えを深めていくこと、それこそが大切なのではないかと思います。

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