あなたがいることこそが

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    「夕食の宴には、友人、兄弟、親類、近所の金持ちを招いてはならない。お返しされるかもしれないから。」
    「招くなら、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。その人たちはお返しをできないから。」

     今日の福音(ルカ14.12-14)で、イエスは、自分を食事に招いたファリサイ派の人に、このように言います。もちろん、これはたとえであって、本当に友人や兄弟を食事に招いてはいけない、という意味ではないでしょう。実際に、イエスご自身も、親しい友人であるマルタとマリアの姉妹から食事に招かれて、食卓を囲んでいます。

     ここでイエスが言いたいのは、人に何かをする際に、見返りを期待してはならない、ということでしょう。もちろん、自分がしたことが感謝されたり、お礼を言われたりしたら嬉しいのは当たり前です。それはごく自然なことです。しかし、感謝されることが目的となってしまったら、感謝されなければ人を助けないようになってしまったら、それは悲しいことです。

     自分の存在が、自分の力が誰かの助けになれる時、本当に救われているのは、相手ではなく自分なのです。自分という存在が、自分のためだけでなく、自分以外の誰かのためになれる。これほどの喜びがあるでしょうか。神は愛です。愛とは、相手を大切にすることです。つまり、誰かを大切にして、その人のためになれるということは、自分の心と体が、神の愛のわざに参加しているということなのです。

     見返りは、求めるべきではないというよりも、求める必要がないのです。自分が助けになれる相手がそこにいるということが、すでに、最高の見返りなのですから。

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