祝福を祈る一時が

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    「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」

     今日の第一朗読(ローマ12.9-16a)で、パウロはこのように言います。このパウロの言葉は「敵を愛しなさい」という教えを分かりやすく説明していると思います。

     「祝福を祈る」とは、その人に神の恵みがあるように祈るということです。自分はその人を好きになれないかもしれない。仲良くなれないかもしれない。自分はその人のために何もできないかもしれない。でも、神はその人を守ってくださるようにと祈る。これが、敵を愛することの第一歩なのです。

     話をするのも、顔を見るのも嫌いな相手がいる。どうしても会いたくない。それも仕方ないことだと思います。無理に関わりを持とうとして、かえって憎しみが増すよりは、会わない方がいい場合もあるでしょう。それでも、一日のうち、一瞬でも構わないので、その人の上に神様の祝福があるように祈ってみましょう。

     それさえも、そんなに簡単なことではありません。わざわざ嫌いな人のことを考えるくらいなら、大好きな人のことを想っていた方がずっと楽しいものです。

     それでも、好きになれない人に神の祝福があるよう祈る時、神は、祈る人のこともまた祝福してくださるのだと思います。その祈りの一時の積み重ねが、人を、そして人の世を変えていくのではないでしょうか。

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