イエスが如何に型破りだったか

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    イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。

     今日の福音(マタイ13.31-35)にはこのように書かれています。実際に、イエスは多くのたとえ話を用いて人々に神の教えを伝えました。それが強調されているということは、当時、そのようなスタイルの説教が斬新で珍しかったということなのでしょう。 

     この当時のユダヤ人社会で、宗教指導者が人々に教えていたことは、民族の歴史(先祖がどれほど苦労してきたか、自分たちがどれほど偉大で神に選ばれた民族か)と、律法(こんな時にはこれをしなければならない、あれをしてはならない)が大半だったのだと思います。

     しかし、イエスが教えたことは、民族を超えて、律法にも囚われず人を愛することでした。それらのことを、聖書を引用するだけではなく、分かりやすいたとえも用いて話し始めたのです。そしてそれを語るイエスご自身は宗教指導者ではなく、田舎の大工だったのです。

     イエスの存在と行動は、当時の常識からすれば、何もかもが型破りだったことが分かります。私たちは、イエスのこのような姿を再認識すべきではないでしょうか。そして、必要な時にはその型破りな姿に学ぶべきではないでしょうか。

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