伝え続けられて今ここに

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    「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。」

     今日の第一朗読(ローマ10.9-18)で、パウロはこのように書いています。イエスが誕生してから二千年後の、パレスチナから遠く離れた現代の日本でも、イエスの教えに触れたり、教会に行ったりすることは、決して難しいことではありません。私たちは、それを当たり前のことのように考えています。

     しかし、これは信じられないほどの奇跡です。パウロが言うように、述べ伝える人がいなければ教えを聞くことはできません。その「述べ伝える人」もまた、誰かから述べ伝えられて教えを知ったのです。そのようにたどっていけば、「全ての人に福音を述べ伝えなさい」とイエスから遣わされた使徒たちにたどり着きます。そしてイエスご自身にたどり着きます。

     この伝承は、決して簡単なものではありませんでした。迫害され、殉教という形で命を落とした人は数え切れないでしょう。遠方への宣教の途中で力尽き、目的地へたどり着けなかった宣教師も大勢いたことでしょう。それでも、その度に誰かがその志を継ぎ、今、世界の隅々まで、イエスの愛は述べ伝えられています。

     今、私たちが信じている信仰が私たちの心に届くまで、どれほどの人の手と心を経てきたか、そして、その信仰が必ずイエスご自身にたどり着くことに想いを馳せることは大切だと思います。イエスの教えを信じる人は皆、イエスの直系の弟子なのです。

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